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自分を探すというよりは確かめるための散歩。
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 この前、仲のいい先輩と飲んでいるときに、

 “なぜ僕はとげとげしい毒を吐き散らしているのに、相談を受けることが多いのか(好意的解釈で、慕われているのか)?”

ということが話題になった。自慢ではないがと断りつつ、完全に自慢であるが、結構人望は厚い、そして狭い。が、人からは広いと言われる。素直に嬉しい。
 のろけはこのくらいに抑えて。そこでその先輩が出した結論は“正論を言わないから”というものであった。なにかを話しているときに、正論が出ないから、他の誰かではない、“僕”に相談してみる。また、正論を言わないし毒も吐くから、何を言っても許容されると思って気楽に話せる。おそらくこんなところであろうと思う。僕は捻くれている可能性が高いので、多分基本的に正論に与しないと思う。
 ただ、そうでもなかった時期があると言うことに気づく。というか、正論を言ってしまう自分に悩んでいた時期があったようだ。そして、根本には正論を言う自分がいて、それと違う世間や自分とのハザマで揺れ動き、そして今では、正論ver.AKIMOTO(要するに屁理屈)なるものを創り出しているのではと言ってみる。先に言い訳しておくが、その頃の自分が正論で武装した歩兵だったのでは必ずしもなく、少なくともオフィシャルな場では正論を言っていたということである。
 根本に正論があるというのは以下の文章である。

 正論を言うことが正しいとは限らない。そう、事実が必ずしも真実ではないように。そのことを学んだのはつい最近だった。正論は時にもっとも凶暴な凶器に変わる。正しさというぎらぎらした刃を持ち、その輝きは、それを手にし、振りかざす者から、躊躇という名の思いやりを奪ってしまう。
 人間は正論の中では生きていない、ましてや理屈の中で生きているわけでもない。どうしようもない矛盾の中に生き、どうしようもない欲望の中で生きている。それをおさえるためにあったはずの理屈はいつしか、人間を閉じ込める檻になり、人間はそこから逃げ出すために檻から作った剣をふりかざすようになった。私はそんなことを考えながら、夢から覚めた。よく分からなくなった。自分は檻にいる、正論理論という名の剣を誰に向かって振りかざしているのか。それは相手に対してであるのか、檻の中の自分に対してであるのか。

 痛む頭を起こして、洗面所に向かう。こんなことを考えるのはいついらいだろう。そういえば昨日は久しぶりに朝まで飲んでいた。十三時

 
これはおそらく大学2回生の終わりごろに書いたものだろうが、今、少なくともこの檻から出ることは出来たようである。ただ困っている。何が正論だったのか今では思い出せないし、考え付けない;今あるのはだだっ広い空間だけである。正論を知っているから正論あらざるものを繰り出せるのである。今繰り出しているのは暴論なのかもと思いながら、のた打ち回る。

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