なんか最近慌しい。予想外の出来事に翻弄されて、まだ地に足がついていない気持ちである。今年一年はなんかいろいろワクワクしそうな予感である。
思いもよらないことにサークルの後輩が押しかけてきた。二年生になるときの自分の気持ちを思い出した。それでちょっとセンチメンタルな気分になっていた。あのときの自分のほうがなんか燃えていたのかもなぁと思ってみたり。そして例のごとく、2日間の引きこもりを行い気分をリフレッシュ。今日が最終日である。明日の健康診断行って、大学生活に復帰します。
題名の通り、忘れそうなので(というか宿題もまだ未提出ですが;)最近読んだ本の題名を挙げてく。
・まほろ駅前多田便利軒(三浦しをん)
これはおもしろかった。後輩に貸したら、壊してしまったという意味不明なメールが送られてきた。。。
・異邦人(カミュ)
今回の引きこもりの遠因はおそらくこれ。うちの母はこれを中学生か高校生のときに読んでいたということでその早熟さにちょっとびびりました。
・アメリカ外交50年(ケナン)
ゼミの課題図書。この人の徹底したリアリズムはすごい。読んでて鳥肌立ちました。
・ホルモー六景
僕の遠い先輩にあたる人が書いた本。鴨川ホルモーもよかったですが、これもいい!!元気が出ます。あまずっぱい恋愛をしたくなります。
・堕落論
たまらん。出版者によって掲載されている文章が違うので、ついつい二冊買いました。
これらの細かい感想はまた次回。と自分に言い聞かせる。
ゼミが国際政治学なのだけれど、毎週一冊~二冊が課題図書としてあるのです。小説とかならかるいんだけど、専門書はきついっす。ここにきてやっと大学生らしい勉強をしているのかなと自己満足に浸っています。ただ、追いつきません。。。
東京の友達から公共政策大学院の過去問を送ってもらいました。そいつはほんとなんも変わってなくてこっちが嬉しくなります。
今配送しましたか?
はいそうです。
というメールとともに、例のアレ、安全第一でと日本郵便のエクスパックで送られてきました。いつも影ながら元気をもらっているのです。来年度から一緒の東京で会えるよう、勉強を再開したいと思います。
頑張ります。
おっと、気づいたら文体が丁寧文になっていた。誰かに向かって宣言したくなったのかもしれません。というかそうすることで頑張らない自分を頑張らせようという魂胆が見え見えですよ。
思いもよらないことにサークルの後輩が押しかけてきた。二年生になるときの自分の気持ちを思い出した。それでちょっとセンチメンタルな気分になっていた。あのときの自分のほうがなんか燃えていたのかもなぁと思ってみたり。そして例のごとく、2日間の引きこもりを行い気分をリフレッシュ。今日が最終日である。明日の健康診断行って、大学生活に復帰します。
題名の通り、忘れそうなので(というか宿題もまだ未提出ですが;)最近読んだ本の題名を挙げてく。
・まほろ駅前多田便利軒(三浦しをん)
これはおもしろかった。後輩に貸したら、壊してしまったという意味不明なメールが送られてきた。。。
・異邦人(カミュ)
今回の引きこもりの遠因はおそらくこれ。うちの母はこれを中学生か高校生のときに読んでいたということでその早熟さにちょっとびびりました。
・アメリカ外交50年(ケナン)
ゼミの課題図書。この人の徹底したリアリズムはすごい。読んでて鳥肌立ちました。
・ホルモー六景
僕の遠い先輩にあたる人が書いた本。鴨川ホルモーもよかったですが、これもいい!!元気が出ます。あまずっぱい恋愛をしたくなります。
・堕落論
たまらん。出版者によって掲載されている文章が違うので、ついつい二冊買いました。
これらの細かい感想はまた次回。と自分に言い聞かせる。
ゼミが国際政治学なのだけれど、毎週一冊~二冊が課題図書としてあるのです。小説とかならかるいんだけど、専門書はきついっす。ここにきてやっと大学生らしい勉強をしているのかなと自己満足に浸っています。ただ、追いつきません。。。
東京の友達から公共政策大学院の過去問を送ってもらいました。そいつはほんとなんも変わってなくてこっちが嬉しくなります。
今配送しましたか?
はいそうです。
というメールとともに、例のアレ、安全第一でと日本郵便のエクスパックで送られてきました。いつも影ながら元気をもらっているのです。来年度から一緒の東京で会えるよう、勉強を再開したいと思います。
頑張ります。
おっと、気づいたら文体が丁寧文になっていた。誰かに向かって宣言したくなったのかもしれません。というかそうすることで頑張らない自分を頑張らせようという魂胆が見え見えですよ。
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ちょっと最近ばたばたしているので忘れないためにも、これから書くべき宿題をここに忘れないように書いておく。
・インドネシア旅行記を完成させる。
・米兵のタクシーのやつについての意見を書く。
・サークルが終わっての気持ちを書く。
・読んだ本の感想を書く。
・前編で終わってるやつを書く。
おお、たくさんある。ひとつづつ書いていこうと思う。
・インドネシア旅行記を完成させる。
・米兵のタクシーのやつについての意見を書く。
・サークルが終わっての気持ちを書く。
・読んだ本の感想を書く。
・前編で終わってるやつを書く。
おお、たくさんある。ひとつづつ書いていこうと思う。
インドネシアに3/21~26の間家族で旅行に行ってきた。妹の大学合格記念慰安旅行である。
1日目。
関空朝9時待ち合わせ。家族は朝4時におきて熊本からやってきたらしい。みんな眠そうである。僕は近くの駅からリムジンバスが出ているのでそれにて到着。今、髪を伸ばしているのだが、それに一同”きもい”の大合唱である。ほめ言葉と思い込み、ぐっとこらえる。
久々に会ったためか妹がのっけから彼氏ののろけ話大驀進中である。よっぽど話し相手に困っていたらしい。携帯待ち受け画面を見せられた。こてこてである。天下一品もびっくりだ。ただ、すごいイケメンである。のろけたくなる気持ちも分かる。彼女いない街道目下驀進中の僕としてはうらやましい限りである。そんなこんなで感動の再会が果たされた。妹の合格が手伝ってみんな上機嫌である。そこに僕との再会の喜びも相まっていることを願いたい。
父は相変わらず無口である。母は相変わらずハイテンションである。人はそう変わらない。
そんな感動の出会いも束の間。搭乗手続きの時間がやってきた。家族海外旅行はもう何回も経験しているのでみんな慣れた具合である。心残りがあるとすればいまだ冷めやらぬ機内食への渇望によって目を曇らせた一同が関空のさぬきうどんを食わずして飛行機に乗り込んだことである。機内でうどーんという声がこだましていたことは想像に難くない。お楽しみは最後にとっておこうと自分に言い聞かせ、席に着く。うどんのこだまを尻目に、機内では機内食が振舞われ、無事デンバサール空港に到着。ここで二時間待ってトランジット。早速空港内でミーゴレンを食べる。このとき既に4食目である。出発時の写真と帰国時の写真を比べたときを想像するとぞっとする。
トランジットをすませわれらは無事ジョグジャカルタ(インドネシアの古都)に到着。ここで大事件発生!!なんとホテルがとれていない。。。一同蒼白と思いきや、あせっているのは父だけで他はそ知らぬ顔である。気楽なものである。これからあの父の機嫌が急転直下地に落ちることも分からずに。。。最初の標的は僕だった。”おい、予約とか全部しろ!”なぬ?集合時間を前日に知らされ、行き先を当日になって知らされた僕が。。。なんとも素晴らしい無茶振りである。母と妹は相変わらず知らん振りである。いいご身分だこと。
僕はその無茶振りに耐え、どうにか父と共同し、予約していたはずのホテルに2エキストラベッドを入れて4人で泊まるという力技を繰り出した。この時点で僕のHP残り5。誰かホイミでいいから僕にかけてくれ。
やっとのことで1日目の寝床を確保。明日は隣のホテルに二室予約できた。そして本日5食目を食べに僕たちは夜の街へ繰り出した。
鳴り響く一昔前のメロディー。しかめ面の母。それを見ないふりで妹を盾にひたすらナシゴレンを食べる僕。われ関せずの父。なぜこんなことが起こったかというと。それは30分前。評判のいい店にはいった我々一向。案内された席の前にはライブステージが、そして今日はスペシャルデイ。喧騒の中での食事に母はご機嫌を損なわれたのである。
こんな始まりを迎えた今回の旅行。な~んか不穏な空気が流れているような。ちょっと大変なことになりそうである。
1日目。
関空朝9時待ち合わせ。家族は朝4時におきて熊本からやってきたらしい。みんな眠そうである。僕は近くの駅からリムジンバスが出ているのでそれにて到着。今、髪を伸ばしているのだが、それに一同”きもい”の大合唱である。ほめ言葉と思い込み、ぐっとこらえる。
久々に会ったためか妹がのっけから彼氏ののろけ話大驀進中である。よっぽど話し相手に困っていたらしい。携帯待ち受け画面を見せられた。こてこてである。天下一品もびっくりだ。ただ、すごいイケメンである。のろけたくなる気持ちも分かる。彼女いない街道目下驀進中の僕としてはうらやましい限りである。そんなこんなで感動の再会が果たされた。妹の合格が手伝ってみんな上機嫌である。そこに僕との再会の喜びも相まっていることを願いたい。
父は相変わらず無口である。母は相変わらずハイテンションである。人はそう変わらない。
そんな感動の出会いも束の間。搭乗手続きの時間がやってきた。家族海外旅行はもう何回も経験しているのでみんな慣れた具合である。心残りがあるとすればいまだ冷めやらぬ機内食への渇望によって目を曇らせた一同が関空のさぬきうどんを食わずして飛行機に乗り込んだことである。機内でうどーんという声がこだましていたことは想像に難くない。お楽しみは最後にとっておこうと自分に言い聞かせ、席に着く。うどんのこだまを尻目に、機内では機内食が振舞われ、無事デンバサール空港に到着。ここで二時間待ってトランジット。早速空港内でミーゴレンを食べる。このとき既に4食目である。出発時の写真と帰国時の写真を比べたときを想像するとぞっとする。
トランジットをすませわれらは無事ジョグジャカルタ(インドネシアの古都)に到着。ここで大事件発生!!なんとホテルがとれていない。。。一同蒼白と思いきや、あせっているのは父だけで他はそ知らぬ顔である。気楽なものである。これからあの父の機嫌が急転直下地に落ちることも分からずに。。。最初の標的は僕だった。”おい、予約とか全部しろ!”なぬ?集合時間を前日に知らされ、行き先を当日になって知らされた僕が。。。なんとも素晴らしい無茶振りである。母と妹は相変わらず知らん振りである。いいご身分だこと。
僕はその無茶振りに耐え、どうにか父と共同し、予約していたはずのホテルに2エキストラベッドを入れて4人で泊まるという力技を繰り出した。この時点で僕のHP残り5。誰かホイミでいいから僕にかけてくれ。
やっとのことで1日目の寝床を確保。明日は隣のホテルに二室予約できた。そして本日5食目を食べに僕たちは夜の街へ繰り出した。
鳴り響く一昔前のメロディー。しかめ面の母。それを見ないふりで妹を盾にひたすらナシゴレンを食べる僕。われ関せずの父。なぜこんなことが起こったかというと。それは30分前。評判のいい店にはいった我々一向。案内された席の前にはライブステージが、そして今日はスペシャルデイ。喧騒の中での食事に母はご機嫌を損なわれたのである。
こんな始まりを迎えた今回の旅行。な~んか不穏な空気が流れているような。ちょっと大変なことになりそうである。
頑張るということは相対的なものではなくて絶対的なものなんだなぁとつくづく思った。そしてちょっと悲しくなった。この一年って自分にとってなんだったんだろうって。
あ、やばい。暗くなりそうなのでまた明日か明後日にでも振り返ろうかな。
とりあえず報告。いろいろあったサークルが終わった。無事引退を迎えたとさ。
あ、やばい。暗くなりそうなのでまた明日か明後日にでも振り返ろうかな。
とりあえず報告。いろいろあったサークルが終わった。無事引退を迎えたとさ。
なにかの縁で少しばかり関係がある人がこの春フィリピンに行っている。今日はじめてその人のブログを読んだ。その中でフロムを引用しているものがあった。フロムを僕が読むきっかけになったのはその人と呑んだからである。はじめて呑みにいって最初は会話が続くかとどきどきしたわけであるが、なかなかに話が弾み。そこで僕の本棚に眠っていた『自由からの逃走』を掘り起こしてくれたのである。
まぁ話を戻して。その人のブログの中で考えさせられる記事が書いてあった。勝手に拝借してみる。
”なぜこんなことをつらつら書き始めたかと言いますと、
とある人との会話で、(国際協力の分野で)なぜ高い志を持っている人ほど国連や外務省といった大きな組織に入ろうとしないのか、という話になりました。私はほぼ無意識的に
「逃げ」ちゃう?
と答えたわけですが…、”
僕はこの言葉にまったをかけたい。どっちも逃げなのではないのかと思ってしまった。まぁどっちにも頑張る人と頑張らない人がいるよねってことなんだと思う。と、これは蛇足なので。というかこれについて自分でも考え続けたいと思ったのでここにメモ程度に記しておく。
志の高さとはなにで計るのだろう。理想の大きさ?現実的な視点?それにかける熱量?多分全部がそろって志の高さになると思う。理想だけ持っとけばいいのか?NOである。突っ走ればいいのか?NOである。じゃあ冷静でいればいいのか?NOである。現場と大きな組織が二項対立的に二分論で語られることがまず問題だと思う。たぶん現場に行くことはかなり勇気の要ることで、大きな組織で蹂躙されながらがんばっていくのも同じくらい勇気がいることなのではないかと思う。双方が互いに、現場は大きな組織に向かって志が足りない(熱量・理想)といって、大きな組織は現場に向かって志が足りない(口先だけで現実的な視点)といって、お互いに自分らの適性のからにこもってその融和性がなくなっていく。現場は自分の影響規模の小ささに嘆き、大きな組織は個別ケアができないことにふがいなさを感じ。だからどうしたらいいかってのはすいません。
あと、ぼくは現場至上主義がきらいである。というかこれは自己正当化の賜物なのであるが。そしてこれを書きながら言葉が自分の弱さを隠すために過激になっていっている。そしてそれを認めることができないでいる。大きな組織になった途端沸き起こる批判がきらいである。大きな組織では自分のしたいことができない、組織のなかで熱量を保つのが困難だ。これは大きな組織だけの問題ではない。むしろ現場にもかなりの確立で当てはまることである。小さな団体は対象が見えやすい。大きな組織は対象が見えにくい。そこで抽象度が高い大きな組織に批判は集中するのである。自分の火の粉が降りかかることを恐れて。大きな組織に口だけの批判を加えて、自分があたかも自分の道を行っているんだと何もしていない人が言うのが一番気に食わない。
で、この人のブログは
”今、原点を見つけることが一番大切のような気がしてます。
帰る所があれば、走り続けられるような気がします。この狂った世の中でも、狂気と正気の間を保てるような気がします。
現場に原点を置きたいから、NGOに行ってみよう!って発想なんだと思います。”
という結びで終わる。
とってもいいなぁと思った。かなり刺激になりました。僕も原点を見つけたいと思いました。僕はこの人とは逆の発想で、大きな組織に入りたいと思います。それも結構ネガティブな理由とポジティブな理由のハザマで。
まずネガティブな理由。自分の生活が無視できない。おいしいご飯は食べたいし、お酒も飲みたい。でも何かはしたい。特に戦争とか人が人を直接殺すのが嫌だ。その妥協の産物として、自分は守られて、なにか出来る場所だと思った。
ポジティブな理由。国際協力というフィールドでなにかを行なう場合、ある程度の持続性というのは必要だと思う。理想を高々と掲げると同時にその実効性のためにある程度の組織的余裕は必要なのである。あと、世に出る批判のなかのいくつかをいい方向にも目を向けてほしいと思った。あと単純に結構でっかいことをしてみたい。
でも根本的にネガティブな理由だと思う。僕には一番矛盾があるその場に一歩を踏み出す勇気がないのである。そんな人がいるから大きな組織はというか小さな団体もというか世の中はよくならない。
閑話休題。
内田樹さんの言葉に道徳律とは“人の立場に立つことではなくて、世の中が自分だらけになったらと想像することである”というものがある(細かい文言は覚えていない)。自分が自分の他人として存在していたらどれだけ壊れた社会になるのであろう。身につまされる。ブルーハーツの歌にも似たようなフレーズがある。
あ、なぜこの記事を書こうかと思ったかというと、この人の結びがとても僕には羨ましくあり、そして自分を奮い立たせてくれるものであると思ったからである。
まぁ話を戻して。その人のブログの中で考えさせられる記事が書いてあった。勝手に拝借してみる。
”なぜこんなことをつらつら書き始めたかと言いますと、
とある人との会話で、(国際協力の分野で)なぜ高い志を持っている人ほど国連や外務省といった大きな組織に入ろうとしないのか、という話になりました。私はほぼ無意識的に
「逃げ」ちゃう?
と答えたわけですが…、”
僕はこの言葉にまったをかけたい。どっちも逃げなのではないのかと思ってしまった。まぁどっちにも頑張る人と頑張らない人がいるよねってことなんだと思う。と、これは蛇足なので。というかこれについて自分でも考え続けたいと思ったのでここにメモ程度に記しておく。
志の高さとはなにで計るのだろう。理想の大きさ?現実的な視点?それにかける熱量?多分全部がそろって志の高さになると思う。理想だけ持っとけばいいのか?NOである。突っ走ればいいのか?NOである。じゃあ冷静でいればいいのか?NOである。現場と大きな組織が二項対立的に二分論で語られることがまず問題だと思う。たぶん現場に行くことはかなり勇気の要ることで、大きな組織で蹂躙されながらがんばっていくのも同じくらい勇気がいることなのではないかと思う。双方が互いに、現場は大きな組織に向かって志が足りない(熱量・理想)といって、大きな組織は現場に向かって志が足りない(口先だけで現実的な視点)といって、お互いに自分らの適性のからにこもってその融和性がなくなっていく。現場は自分の影響規模の小ささに嘆き、大きな組織は個別ケアができないことにふがいなさを感じ。だからどうしたらいいかってのはすいません。
あと、ぼくは現場至上主義がきらいである。というかこれは自己正当化の賜物なのであるが。そしてこれを書きながら言葉が自分の弱さを隠すために過激になっていっている。そしてそれを認めることができないでいる。大きな組織になった途端沸き起こる批判がきらいである。大きな組織では自分のしたいことができない、組織のなかで熱量を保つのが困難だ。これは大きな組織だけの問題ではない。むしろ現場にもかなりの確立で当てはまることである。小さな団体は対象が見えやすい。大きな組織は対象が見えにくい。そこで抽象度が高い大きな組織に批判は集中するのである。自分の火の粉が降りかかることを恐れて。大きな組織に口だけの批判を加えて、自分があたかも自分の道を行っているんだと何もしていない人が言うのが一番気に食わない。
で、この人のブログは
”今、原点を見つけることが一番大切のような気がしてます。
帰る所があれば、走り続けられるような気がします。この狂った世の中でも、狂気と正気の間を保てるような気がします。
現場に原点を置きたいから、NGOに行ってみよう!って発想なんだと思います。”
という結びで終わる。
とってもいいなぁと思った。かなり刺激になりました。僕も原点を見つけたいと思いました。僕はこの人とは逆の発想で、大きな組織に入りたいと思います。それも結構ネガティブな理由とポジティブな理由のハザマで。
まずネガティブな理由。自分の生活が無視できない。おいしいご飯は食べたいし、お酒も飲みたい。でも何かはしたい。特に戦争とか人が人を直接殺すのが嫌だ。その妥協の産物として、自分は守られて、なにか出来る場所だと思った。
ポジティブな理由。国際協力というフィールドでなにかを行なう場合、ある程度の持続性というのは必要だと思う。理想を高々と掲げると同時にその実効性のためにある程度の組織的余裕は必要なのである。あと、世に出る批判のなかのいくつかをいい方向にも目を向けてほしいと思った。あと単純に結構でっかいことをしてみたい。
でも根本的にネガティブな理由だと思う。僕には一番矛盾があるその場に一歩を踏み出す勇気がないのである。そんな人がいるから大きな組織はというか小さな団体もというか世の中はよくならない。
閑話休題。
内田樹さんの言葉に道徳律とは“人の立場に立つことではなくて、世の中が自分だらけになったらと想像することである”というものがある(細かい文言は覚えていない)。自分が自分の他人として存在していたらどれだけ壊れた社会になるのであろう。身につまされる。ブルーハーツの歌にも似たようなフレーズがある。
あ、なぜこの記事を書こうかと思ったかというと、この人の結びがとても僕には羨ましくあり、そして自分を奮い立たせてくれるものであると思ったからである。