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自分を探すというよりは確かめるための散歩。
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 なにかの縁で少しばかり関係がある人がこの春フィリピンに行っている。今日はじめてその人のブログを読んだ。その中でフロムを引用しているものがあった。フロムを僕が読むきっかけになったのはその人と呑んだからである。はじめて呑みにいって最初は会話が続くかとどきどきしたわけであるが、なかなかに話が弾み。そこで僕の本棚に眠っていた『自由からの逃走』を掘り起こしてくれたのである。

 まぁ話を戻して。その人のブログの中で考えさせられる記事が書いてあった。勝手に拝借してみる。
 
”なぜこんなことをつらつら書き始めたかと言いますと、
とある人との会話で、(国際協力の分野で)なぜ高い志を持っている人ほど国連や外務省といった大きな組織に入ろうとしないのか、という話になりました。私はほぼ無意識的に
「逃げ」ちゃう?
と答えたわけですが…、”

 僕はこの言葉にまったをかけたい。どっちも逃げなのではないのかと思ってしまった。まぁどっちにも頑張る人と頑張らない人がいるよねってことなんだと思う。と、これは蛇足なので。というかこれについて自分でも考え続けたいと思ったのでここにメモ程度に記しておく。
 志の高さとはなにで計るのだろう。理想の大きさ?現実的な視点?それにかける熱量?多分全部がそろって志の高さになると思う。理想だけ持っとけばいいのか?NOである。突っ走ればいいのか?NOである。じゃあ冷静でいればいいのか?NOである。現場と大きな組織が二項対立的に二分論で語られることがまず問題だと思う。たぶん現場に行くことはかなり勇気の要ることで、大きな組織で蹂躙されながらがんばっていくのも同じくらい勇気がいることなのではないかと思う。双方が互いに、現場は大きな組織に向かって志が足りない(熱量・理想)といって、大きな組織は現場に向かって志が足りない(口先だけで現実的な視点)といって、お互いに自分らの適性のからにこもってその融和性がなくなっていく。現場は自分の影響規模の小ささに嘆き、大きな組織は個別ケアができないことにふがいなさを感じ。だからどうしたらいいかってのはすいません。
 
 あと、ぼくは現場至上主義がきらいである。というかこれは自己正当化の賜物なのであるが。そしてこれを書きながら言葉が自分の弱さを隠すために過激になっていっている。そしてそれを認めることができないでいる。大きな組織になった途端沸き起こる批判がきらいである。大きな組織では自分のしたいことができない、組織のなかで熱量を保つのが困難だ。これは大きな組織だけの問題ではない。むしろ現場にもかなりの確立で当てはまることである。小さな団体は対象が見えやすい。大きな組織は対象が見えにくい。そこで抽象度が高い大きな組織に批判は集中するのである。自分の火の粉が降りかかることを恐れて。大きな組織に口だけの批判を加えて、自分があたかも自分の道を行っているんだと何もしていない人が言うのが一番気に食わない。

で、この人のブログは
”今、原点を見つけることが一番大切のような気がしてます。
帰る所があれば、走り続けられるような気がします。この狂った世の中でも、狂気と正気の間を保てるような気がします。
現場に原点を置きたいから、NGOに行ってみよう!って発想なんだと思います。”
という結びで終わる。

 とってもいいなぁと思った。かなり刺激になりました。僕も原点を見つけたいと思いました。僕はこの人とは逆の発想で、大きな組織に入りたいと思います。それも結構ネガティブな理由とポジティブな理由のハザマで。
 まずネガティブな理由。自分の生活が無視できない。おいしいご飯は食べたいし、お酒も飲みたい。でも何かはしたい。特に戦争とか人が人を直接殺すのが嫌だ。その妥協の産物として、自分は守られて、なにか出来る場所だと思った。
 ポジティブな理由。国際協力というフィールドでなにかを行なう場合、ある程度の持続性というのは必要だと思う。理想を高々と掲げると同時にその実効性のためにある程度の組織的余裕は必要なのである。あと、世に出る批判のなかのいくつかをいい方向にも目を向けてほしいと思った。あと単純に結構でっかいことをしてみたい。
 でも根本的にネガティブな理由だと思う。僕には一番矛盾があるその場に一歩を踏み出す勇気がないのである。そんな人がいるから大きな組織はというか小さな団体もというか世の中はよくならない。
 
 閑話休題。
 内田樹さんの言葉に道徳律とは“人の立場に立つことではなくて、世の中が自分だらけになったらと想像することである”というものがある(細かい文言は覚えていない)。自分が自分の他人として存在していたらどれだけ壊れた社会になるのであろう。身につまされる。ブルーハーツの歌にも似たようなフレーズがある。

 あ、なぜこの記事を書こうかと思ったかというと、この人の結びがとても僕には羨ましくあり、そして自分を奮い立たせてくれるものであると思ったからである。
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1986/01/22
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スナフキン症候群にならないようにと日々励んでいます。
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