警句のことをアフォリズムという。ニーチェとかベンヤミンとかが得意なやつである。それに満たないものはアホリズムかなぁとか思っていたら、バカリズムという芸名はもうひとひねりいれたものなのではないかと、そしてそれなら、あのシニカルな芸風も理解できるななどと早合点する。アフォリズムが厳密な論理性を真実性を求められないように、バカリズムの由来を調べることなどしない。
ただ、アフォリズムを言っている気満々なくせに、アホリズムとかするのは屈折した自意識過剰だと妹に叱責されそうである。
ということでいくつかのつぶやき。
・ある種の運動、行動には情熱と幾分の軽薄さが、沈黙には深慮と無関心とが隠されている。
・死ってドーナツみたいだね。私がいないの。真中がぽっかり空いていて。でも空いているからみんなに愛されて食べられ続ける。だってあの真ん中のやつを食べようとはあまりしないでしょう。
・弱さも振りかざすと暴力だよ?(by有吉)
・決断するものが主権者なら、決断したいものはどれだけいるのだろうか?
・日本でさえ管理できなかった原発事故をイタリアが管理できるわけがない(NHKBS1報道)
最近の感想。
最近になってよやく近代的という言葉を発せられるようになってきた。同様に存在論と認識論という言葉も少しのためらいで使えるようになってきた。
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