忍者ブログ
自分を探すというよりは確かめるための散歩。
[1]  [2]  [3
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 今日、突然、コソボでの選挙監視で知り合った人から進路相談のメールが届いた。
 正直びっくりした。インターン中は結構しゃべったし、よく物事を考えているというか考え過ぎくらいの勢いの人だったので嬉しい限りである。

 そして、あぁ選挙監視から半年が経つのだなぁと思った。コソボ以降、何が変わったかといえば、なにか慌ただしく過ぎていった印象がある。そして、あの時感じた疑問を論文に反映させようと思っているが道のりは険しい感じがする。。。先生はコソボに行ったときに感じた問題意識がしっかり出ていますねと言ってくれたし、そこを僕の代わりに、ゼミ中に擁護もしてくれたのだが、まだぼんやりとは見えて消えての繰り返しである。。。
がんばるんば。

 あの時からすると英語は少ししゃべれるようになって、今行ったらもっとコミュニケーションとれるのにとか、コソボの事もあの時より勉強してもうちょっと話せるのにとかいろいろ思うことはあるが、そうした技術的なことじゃない面で、盛りだくさんの半年だったなぁというのがある。

 それとやっぱ案外人望あるな。とひとりごつを言ってみたり。
PR
最近更新していたなった。と言っても先日子供云々をアップしたけれど。

4月はずっと、東北行脚の旅に出ていた。
4月5日から南相馬市で一週間ほどボランティアをした後、岩手宮城と、東北各県を視察し、適宜炊き出しの手伝いをしていた。

そして帰ってきたのが、確か4月の24日とかだったと思う。

ボランティアをしていて思ったことが、やはり、普通に働いていない人のクオリティは間違いなく低いということと、そういう人たちが吹きだまりのように集まるという傾向性があるということ。
ボランティアと言えば聞こえがいいが、震災当時に何もしていなかった人たちの集合体である。もちろん、すばらしい人たちもそこにはあふれているが、同程度いやもっと大部分がひどいものだった。

例をあげると、「おれはこんな仕事をしに、ボランティアに来たわけじゃない!!」とキレる人。おい、おまえは何さまだ。じゃあ帰れ。毎晩お酒を飲んで、次の日に二日酔いで作業をする人。そして、飲んでいることを注意されると逆切れする人。頼むから自分ちでやってくれ。
このような人がいるのもまた事実である。そしてこういう人たちにありがちなのが、自分たちは善意でやってきたのにその態度はなんだと、地元の人に言う始末。残念である。
南相馬市のボランティアセンターは恵まれていて、そこにはボランティアのためのボランティアが来ているくらいであった。どういうことかと言うと、ボランティアのために食事を作るボランティア、ボランティアのために、マッサージをするボランティア。僕は南相馬にいた一週間で頭が狂いそうになった。

それに比べて、東北行脚をした後の2週間は充実したものだった。それは自分の動機が、現地で何かをしたいというよりは、もっと観察とか調査というものに動機づけられていたからだろうが、大きいのは、メディアにあまり大きく取り上げられていないところを回ったからというのもあるだろう。南相馬は最初のうちは風評被害で人もあまりいなかったが、風評被害という報道がなされてから、逆風評被害ともいうべき状況だった。烏合の衆が集まってきたのである。それに比べると、岩手、宮城で行ったところはそこまでではなく、粛々と行われている感じだった。
スリランカに津波が来たときに現地の人が言った言葉は有名である。
私たちの国には、津波が二度来た。一度は水の波で、二度目は人の波だった。
スリランカが外国からの援助を嫌うことは有名であるが、その気質を差し引いても、注目に値する言葉であろう。

まぁ、そんなこんなで四月は過ぎていき、五月の初旬は道後温泉を含む四国へ彼女と旅行をしていた。香川件には小学生のころ住んでいたのだが、その小学校に行ってきたし、行きつけのうどん屋にも行けた。
楽しかった。

おお、忘れていた。四月の終わりに修論の中間報告を行った。感触は悪いものではなく、今後も引き続き頑張っていこうと思う。

最後に、東北の事業が今後も続きそうで、長期的に何らかのかたちで関わるというのはなかなかにできないことだし、いい機会に恵まれたと思っている。






 いわき市に救援物資を届けにこの週末行っていた。広島から東京をただひたすら走り、そして現地で情報収集をしながら、物資の分配を決めた。また四月に第二陣が出るようなので、参加することになると思う。平和構築を専門に研究を進めている身なので、今回の経験を大きなものにしないといけないと思う。
 思ったことをいくつか。

・必要の平凡さ
 個人的には免許取得後一回も運転していないマニュアル車というかマニュアルの2tトラックを運転したことがとても大きな衝撃だった。切迫した状況でできないとか言ってられないのである。するかしないか。そこでチャンスをつかめるかどうかがわかれている部分がある。
 まぁそこまで話の大きいものではないが、いわゆる現場で求められるのは特殊な技能、才能などではまったくないということである。運転技能、体力、物資を効率的に積む柔軟性など、極めて日常的な能力が日常的なレベルで求められているということでそれ以上でもそれ以下でもないということがあたまでっかちの大学院生からすれば大きな発見であると同時に、大きな安心である。体一つでもできることがあるということ。
 それではなぜ理論が必要なのか?たぶんそれは非常事態をあくまで日常の中で解決しようとする途方もないプロジェクトのためではなかろうかと思う。

・ネットワークとその入り口
 先ほど、体一つでできることがあると言ったが、体一つをどう活かすのか、ということは別問題である。逆説的に響くが体一つで行ったって何の役にも立ちやしないのである。むしろお金の方が断然役に立つ。体が活きてくるのはそれがネットワークと繋がったときである。そしてそのネットワークの接続口にアクセスできるかどうかというのは先ほどのするかしないかという、一見すると安易な決断に基づいていることがある。いや、というよりは、行く、やる、という心構えをしておくかどうか、というか、研究をしている身からすると、理論と実践のリンクをなんらかの形でいつも社交辞令ではなく真摯に考えているかということとも繋がっている気がした。高校のころ部活の練習で、練習のための練習ではなく、試合のための練習をしろとよく言われていた。やっとその意味がわかった気がする。
 見るまえに跳べ、なのかもしれない。

・日常で対応する
 行って思ったのは日本の行政の底力である。極めて効率的に物資を送るシステムが出来上がっている。確かに、一部不足、見落としがあるようだが、盲目的なNGOなどをうまく使い、そこら辺をカバーしている。NGOのパラドックスでも言えるものがそこにはある。NGOなどはいつも政府、行政を批判するが、そのお墨付きを結構自慢するのである。これはやはり政府組織、行政組織の正当性の高さを物語っているだろう。それらが完璧だとは決して言わないが、日本にはきちんと機能する行政が存在する。このことを過多にも過小にもならずきちんと評価したほうがいいと思う。そして、行政が行うのはあくまで”日常”として対応を行うということである。そこには決まりがあり、手続きがある。そしてそれゆえ、大規模に展開できる。多くの人のニーズはこれにて満たされているというのが現状だと思う。そして洩れたところをいわゆる市民社会が担うのだろう。そして、その漏れは今に至っては誤差の範囲内ではなかろうかと思う。
 ここで当然ながら、人の数を誤差で済ますとは何事だという批判が聞こえてきそうであるが、その批判者に問い返したい。その誤差をあなたはどう扱うのか?と。すでに誤差を誤差じゃなくするために、多くの団体が我先にと調査を開始し、プロジェクト展開を進めている。過剰ともいえる勢いで。NPOやNGOは集まった募金を分配してもらいやすくなっている。それでも行政の規模に比べた時のその矮小さに驚くだろう。そしてそれで十分な気がしてならない。身の丈に合った場所でしか活動はできない。そして身の丈をそれぞれがおこなうことが大切である。実際、さまざまな団体の調整会議も仙台などで開かれるようになってきている。
 物流も徐々に回復しつつある。物流の威力はすごい。ほしいものがほしい人にいきわたるというのはなかなかにすばらしいことなのだろうと痛感する。資本主義批判をする人はそこら辺をしっかり論駁できないと説得力がないのだろうなぁと思う。

・日常と平凡の埋めがたい差
 日常、日常と書いてきたが、それは平凡とは決定的に異なる。決して現地で起こっていることは平凡なことではない。しかし、私にとっても、彼らにとってもそれが非日常なんかではなく、過ごしていかなければならない、日常であることには変わりない。おそらく、支援物資が安定してきているなかで、その日常度合いは日に日に増していき、周りの関心も日に日に減っていくだろう。しかし、おそらくは、今からが一番しんどいのではないかと思う。日常の非平凡さが失われ、日常の平凡さが戻ってきたときに。
 しかしこの戻ってきた平凡さは以前享受していた平凡さとは似ても似つかないだろうと思う。そこには以前より膨らんだ需要と消費(特に車や建築関係)が見られることだろう。そしてそこには平凡な交換過程が生まれる。しかしその交換過程のアクターはもはや以前と同じ動機ではない。しかし、日常は過ごさなければならないのである。
 僕は被災地の方々をどう捉えているのだろうか。と自問したとき、やはり僕には関係が薄い、もしくはないと答えざるを得ない。というよりはやはり地震を経験した人はその経験の中で生きなければならないし、僕はそれを経験していない。加えて、彼らの名前を知らない。でもなんとなくなんかしたほうがいいんじゃないか、できるんじゃないかという思いはある。たぶん、僕も自分とは関係ない人に助けられたことが多々ある。それでいいのではというかそれしかないのかなぁ。よくわからない。じゃあ自分はなにをするのか。たまたま与えられた、中には自分で近づいて行った、環境の中でつかめるものをつかむことしかできない。つかまないことはもうしないことにした。

・身近な不信と諦念じみた信用、そして贈与
 おそらく、今回の震災に関して、いろいろなこという人がいる。そして、時に不信に陥りそうになる。僕はおそらく倫理的規範に厳しい方だと思う。それゆえ、その基準にのっとらない人を蔑む傾向がある。人をさげすむこと自体は倫理的にいいのか、自分の倫理規範の根拠はどこかというそういった話はここでは無視する。しかし、最近、あまりこだわらなくなってきたように思う。あくまで相対的にではあるが。。。
 こうしたときに、人を蔑んでいる暇はないし、そんなことをしても面白くない。自分はする。なにかが起こった時、それをどうにかしようと立ち上がる人が、考える人が世の中には一定数存在する。僕は人道的介入などを結構広義な意味で研究しているのでそのマイナスの効果も無視できないものだとは思うが。。。それでもその一定数によって少なくとも短期的に大きな失望を埋める努力がなされるのであれば少なくとも非常事態においてはそれでいいのではないだろうかと思う。その短期的援助がなければ成り立たない場所があるわけで。
 そうした一定数からの贈与によって何かが動き出したら、その後の趨勢は常に反省的に考えられ、実行されなければならないと思う。ここでやっと理論の登場である。確かに、その例外状態を日常に引き戻す、そこのタイムラグについてはもうちょっと考察しなければならないし理論化が必要であろう。しかし、少なくとも日本においてはそのタイムラグは無に等しく、強固な基盤の上に復興が行われている。これが紛争国などとの大きな違いである。

・自分の立位置
 先ほどと関連するが、それでは自分の立ち位置はどこにあるのか。僕はたぶん、個人の顔が見えると、何かをしたいなどと思わない気がする。いや、でも過去の経験からすると、結構無差別に顔が見えたからなにかしてきたような気もする。反面是が非でもこの人のためにとなることもあるが、それは極めてまれなケースである。顔がないからこそ、なぜか動こうと思う。ぼくにはこの理路が分からない。はっきり言って、多くの人を信じていないし、信じる気もない。しかし、そこに一定数信じれる、いや、崇拝さえしたくなるようなすばらしい人が存在しているのもまた否定できない。そして、僕はその自分が崇拝さえしたくなるような人の存在に賭けてなにかをするのではないだろうか?と思えてきた。それではその賭けが見込みがなさそう、成り立たなかったらどうするのか。気持ちよくこの世を去れるだけだと不謹慎な言葉がまず頭に浮かんでしまう。極めて危うい線上にいるような気がする。でも実際はそんなことは起こりえないこともどこかで分かっている。
 いや、反対に、自分が崇拝するような人はたぶん、自分で立って行けるから、これまで自分を頼ってきた人、自分を必要とする人にコミットしてきたということもできる。それが嫌いな時もあったにもかかわらず。これは向こうからの積極的働きかけがあったからだということができる。じゃあ今回は?働きかけはない。なぜ勇んで出て行ったのか。おそらく、震災地の人を思ってというよりは、近しい人の要請に応えたというほうが適切かもしれない。そして、近しく感じる人の多くがそのような贈与的行為を是とする人であるということだけである。しかしここでもう一つ難問が。みんなが是としていたとしても、円環が閉じてしまう。だれかが、その円環をどこかに接続しない限りは。今回はラッキーだったし、年齢的にももうしばらくはその円環の一部をなす役割が多いだろうが、先ほどの練習のたとえをしっかり肝に銘じておかなければならない。もし円環が閉じられていたら、そのとき自分が先頭に立つのかどうか。先頭などなくてもその場の間主観の作用で物事は動くと言われそうだが、現時点ではそれは気休めにもならない逃げ口上に聞こえてしまう。最初の一歩を踏み出すかどうかというところに自分の裁量の余地が大きく残されているように思えるから。
 
・課題 
 小学生以来の課題(当時は課題だと思わなかった)であり、おそらくは数多くの人に、特に、大学院に入ってから指摘される点である。そして、それは同時に、僕の成長の必要性を示している。しかも急務の。僕はたぶん、“人を信じたいけど信じられない”という矛盾に満ちた言葉で逃げようとしている問いにそろそろ本気で立ち向かわなければならないのだろうと突き付けられた。それは、コソボで出会った友人であり大先輩、今回の旅路で一緒だった院の先輩とフィールド志向の先輩などが示してくれたものである。
 言葉を借りるなら、したいこととできること、心地いいことと求められているものを冷静に見極めていく必要があるのだろう。

12月からブログの更新をしていたなかった。
何をしていたかと言うと。

12月におよそ一ヵ月弱コソボの選挙監視にっていた。そのあとトルコへ観光。また改めて書けたらいいが、少し時間がない。。。
一応、修論はコソボを事例として取り扱おうと思っており、その関係もあってとても有意義だった。フィジカルな経験をしておくというのはやっぱり違う。言葉に具体的なイメージが付与される感じがする。

そのあとは家族で上海にて年越し。母親曰く、こうしてばらばらだけど、どっかで集まるみたいなのが家族の理想形だと言っていた。なんか素敵な年越しだった。

その後、帰国するや否や、しばらく先生が外務省委託でやっている事業の議事録バイトとして働いている。一月中旬に東京へ二週間ほどの出張、二月の初めより広島にて。
東京では箱根に今年修士を終えた先輩と行ったり、高校来の親友と会ったりで久しぶりに友達と話した!!って感じだった。年々、人と適当に付き合うようになっているので得難い数少ない友人たちである。

議事録のバイトは3月11日まで。すべて英語でなされるため、英語のいい訓練になると納得させほぼ毎日行っている。三月5日に現時点での英語力を知るためIELTSを受けるためもっぱらその準備という感じである。

こうして書いてみるとめっちゃ慌ただしく流れている。

ただ、4月の初めに修論の大枠の発表があるのでそれに向けても文献を読まなければだし、まとめなければ。。。
 邂逅というまで大げさなものではないが、今日、ルネ(生協の本屋)でじゅんに会った。今日は卒業該当者を見て、奨学金の手続きをして、気分転換に社会契約論を買いに行ったのであった。無事九月をもって大学を卒業する。

 じゅんとは学校ではあまりあわないが、よくよく思い返してみると、るねでよくあっていることに気がついた。なぜか知らないがたぶん二人ともがかなりの頻度で気分転換にるねにくるのだろう。そこには大学の本屋らしく、さまざまな学術書がおいてあり、よく言えばアカデミックな気分に悪く言えば厭世的な気分に浸れる。そしてついつい長居してしまうのである。なんだかんだで小一時間立ち話。近況報告やら、最近読んだ本やら。驚くほど読書遍歴がかぶっているので面白い。平野啓一郎を全部読んだらしい。インシが終わったら早速葬送に取り掛かろうと思う。

今日買おうと思って思いとどまった本、ヘブン 
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
バータンQ
年齢:
38
性別:
男性
誕生日:
1986/01/22
職業:
学生
趣味:
妄想
自己紹介:
大学院で平和構築を勉強中。
スナフキン症候群にならないようにと日々励んでいます。
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター
FX NEWS

-外国為替-

Copyright (c)What am I ? All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog  Photo by Kun   Icon by ACROSS  Template by tsukika


忍者ブログ [PR]