学部時代、この人はすごいなぁという先輩がいて、
「論理的とは嘘をつかないことだ」
と言っていた。論文などを書くとき、自分がまだ十分に理解していないところ、有効な反論が思い浮かばないところ、批判したい対象の瑣末な部分への怒りが執筆者の個人的資質への好き嫌いに由来することでねじまがるところ、などなど、そうした意図が意識できていればいいが、多くは無自覚的にそうした自分のチブを隠すために、論文の表現が冗長になり、修辞的になり、結果、理論が破たんする。迷う。
嘘をつかないとはとっても難しい。たとえば、奨学金の申請で、専門外の人に分かるように書いて下さいとある。こうしたことは得意な方だと思うが、いかんせん、自分の論文の構想がまとまっていない場合、結構大変だ。ある人は、戦略的に嘘をつくとまでは言わないが、うまくごまかしながら書いたらいいんですよと言ってくれるが、昔から戦略的思考というのが著しく苦手である。
おそらく、そんなことを中途半端に試みると、ぼろが出る。結局、嘘をつかないようにするしかない。そしてたどりつくしかない。あとは持ち前の、人当たりの良さで面接でごまかすしかない。
なぜか、即時的なうそは得意なようだ。質が悪い。
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