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自分を探すというよりは確かめるための散歩。
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最近更新していたなった。と言っても先日子供云々をアップしたけれど。

4月はずっと、東北行脚の旅に出ていた。
4月5日から南相馬市で一週間ほどボランティアをした後、岩手宮城と、東北各県を視察し、適宜炊き出しの手伝いをしていた。

そして帰ってきたのが、確か4月の24日とかだったと思う。

ボランティアをしていて思ったことが、やはり、普通に働いていない人のクオリティは間違いなく低いということと、そういう人たちが吹きだまりのように集まるという傾向性があるということ。
ボランティアと言えば聞こえがいいが、震災当時に何もしていなかった人たちの集合体である。もちろん、すばらしい人たちもそこにはあふれているが、同程度いやもっと大部分がひどいものだった。

例をあげると、「おれはこんな仕事をしに、ボランティアに来たわけじゃない!!」とキレる人。おい、おまえは何さまだ。じゃあ帰れ。毎晩お酒を飲んで、次の日に二日酔いで作業をする人。そして、飲んでいることを注意されると逆切れする人。頼むから自分ちでやってくれ。
このような人がいるのもまた事実である。そしてこういう人たちにありがちなのが、自分たちは善意でやってきたのにその態度はなんだと、地元の人に言う始末。残念である。
南相馬市のボランティアセンターは恵まれていて、そこにはボランティアのためのボランティアが来ているくらいであった。どういうことかと言うと、ボランティアのために食事を作るボランティア、ボランティアのために、マッサージをするボランティア。僕は南相馬にいた一週間で頭が狂いそうになった。

それに比べて、東北行脚をした後の2週間は充実したものだった。それは自分の動機が、現地で何かをしたいというよりは、もっと観察とか調査というものに動機づけられていたからだろうが、大きいのは、メディアにあまり大きく取り上げられていないところを回ったからというのもあるだろう。南相馬は最初のうちは風評被害で人もあまりいなかったが、風評被害という報道がなされてから、逆風評被害ともいうべき状況だった。烏合の衆が集まってきたのである。それに比べると、岩手、宮城で行ったところはそこまでではなく、粛々と行われている感じだった。
スリランカに津波が来たときに現地の人が言った言葉は有名である。
私たちの国には、津波が二度来た。一度は水の波で、二度目は人の波だった。
スリランカが外国からの援助を嫌うことは有名であるが、その気質を差し引いても、注目に値する言葉であろう。

まぁ、そんなこんなで四月は過ぎていき、五月の初旬は道後温泉を含む四国へ彼女と旅行をしていた。香川件には小学生のころ住んでいたのだが、その小学校に行ってきたし、行きつけのうどん屋にも行けた。
楽しかった。

おお、忘れていた。四月の終わりに修論の中間報告を行った。感触は悪いものではなく、今後も引き続き頑張っていこうと思う。

最後に、東北の事業が今後も続きそうで、長期的に何らかのかたちで関わるというのはなかなかにできないことだし、いい機会に恵まれたと思っている。






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