今、南相馬市にボランティアに来ている。
昨日までは戸別訪問をしていたのだが、今日から託児所での子供のお世話ということになった。
その託児所というのが、パチンコ屋の二階にあり、普段はパチンコ店の従業員やパチンコにくるお客さんのためのものであるそうだ。極めてクールないや、倫理的ともいえるパチンコ屋の戦略にぞっとした。そしてパチンコ屋らしく、その設備は豪勢そのものである。ゲームの量にはびっくり。
ただ、現在は地域住民に対して解放されていて、と言っても知名度が低いので大人数来るわけではないが、幅広い層の人々がやってくる。
被災地の現時点での役割は少なくとも三つほど考えられる。子供のケア、母親父親のケア、地域ネットワークの構築、促進である。ここで重要なのが子供のケアもだが、両親のケアである。子供を一定時間預けることで、避難生活の苦渋から一定程度解放される部分はあるようである。なのでボランティアの多くは、親御さんの話し相手ということになる。
では残った子供たちをどうするか。僕の出番が訪れた。僕はたぶん、子供の扱いには慣れている、というより、子供一般が僕の扱いに慣れているため、かなり打ちとけられやすい方だと思う。今日もご多分にもれず、その特性を如何なく発揮し、一日を過ごした。
僕の基本的な戦略は、子供の年齢層によっても違うが、子供にとっての共通の悪役を作ること、つまり、僕が子供内に派閥を作らせて、けんかさせるのではなく、僕という敵を子供が協力して倒すという構図を自明な形ではないにしろ、関係性の中に滑り込ませることである。そうすると、結構楽しく、やれる。しかし一つ大きな問題は、その悪役のキャパシティである。これを見誤ると信頼関係は一気に崩れるように思う。何人までなら引き受けられるか、どれくらいの強さの悪役になるか、これは歯ごたえがなさ過ぎてもいけないし、逆に強すぎてもいけない。こうした絶妙な塩梅によってというか、ほぼ一生懸命全力で子供に立ち向かっているだけなのだが。。。。だいたい仲良くなれる。
もうひとつ、重要なのが子供の視線の意味についてきちんと自分なりに解釈しようとする姿勢は見せなければならない。マストである。子供はいわゆる社会化がそこまで進んでいないため、人間関係の中でのグルーピングの基準が極めてシビアである。視線の意味が理解されないことをおそらく理解している、その姿勢を見ているような気さえする。それでは構って視線を出された時、すぐ近寄っていけばいいのか。いやツンデレであることの魅力も捨てがたい。云々。。。
いろいろ書いてきたが、結局そんなことじっさいにかんがえちゃぁいない。一生懸命楽しんでいるだけである。本当に楽しかった。アスレチックで遊んで、マリオカートして。お話して。
本題に入ると。
こうした被災地における子供のケアとはどうあるべきなのだろうかということについてとうとうと悩んでいる。
通常だと、こうした託児所には資格を持った保育士なりが常駐しており、ことは進められる。しかし、そうした人たちが軒並み避難してしまってスタッフがいない、ボランティアだけという状況において、子供が被る影響とはどんなものなのか。こうした問題群に僕は突き当たってしまった。
まず、ボランティアの問題は資格がないことはもちろんのこと、最大の問題は、アドホックであることである。人は初対面の時、緊張する。それが会話・ふれあいを通じて緩和もしくはその逆になったりする。たとえばそれが毎日繰り返されるという状況はどう感じられるだろか?実際に子供に起こっている状況である。今日来る人と明日来る人が違う。毎回ゼロから人間関係を始めて、そして終わる。その繰り返し。ストレスの発散の場としての託児所が深層部分で大きなストレスとして作用することはないのだろうか?
また、震災直後というこの特殊な状況の中で、子供たちに必要なものは他でもない安心感であるように思う。そうした場合、頻繁に入れ替わるメンバーというのは逆効果をもたらしはしないだろうか?人への不信感を深める方向に。おそらく、彼らは分かっている。どうせまた来ることはないし、いつかどっかに行くことを。しかし、大人が避難した状況の中で、ボランティアがそのアドホックさゆえに、不信感を加速させることはないだろうか?
ボランティアが彼らにとっての非日常であるために、彼らを必要以上に刺激してはいないか?高校の時、保育園に行ったが、毎日あなたたちのようなテンションで子供たちに接することはできないし、することがいいとも限らないと言われたことを覚えている。
こうした疑念が頭をぐるぐる回る。
あと、写真に向けた彼らの嫌疑的なまなざし。今日、最後に活動報告用に写真を取らせてもらった。団体からの出資で活動をしている以上、報告義務があるのだが、僕はどうも写真を取ることに抵抗を覚える。ただ、以前からこの託児所でボランティアをやっている人が僕なら快く子供達も受け入れてくれるだろうとお墨付きをくれたし、僕も記念に写真を取っておきたかったので、頼んでみた。実際子供たちに抵抗はなかったし、楽しい感じで撮影が終わった。しかし、そこに映っている顔は僕が最初に来たとき、コミュニケーションの最初に見せた、ないまぜになったものだった。こうした大人の事情を彼らは感知している、どこかで。それが嬉しいと同時にそれを見せなければいけないのがとても嫌だった。子供がピュアだと言いたいわけではない。ただ、関係性の中にそうしたものをしのばせるのが嫌だったのだ。そしてそうした写真が勝手に解釈されることが嫌だ。少女とハゲワシの写真のように。彼らのそのまなざしが容易に震災の苦しみの顕然であるかのように扱われるのが。
別れ際に彼らはとまどいながらまたねと言ってくれた。また明日ねと。そして、あ、週末はここが休みか。じゃあまた、月曜日ねと言ってくれた。しかし彼らのうちの一人がしまったという顔をして、ばつが悪そうにうつむいた。しっかりした女の子が言い直して、じゃあね、バイバイと言った。また月曜ね。と言うとみんながぱっと顔を明るくしてもう一回はっきりとまたねと言ってくれた。