これは3/22付け日記。編集の間違いでここに来てしまった。。。
今日はちょっと本を読んだ。堤未果さんのアメリカ弱者革命という本。ちょうど半年前にバイト先の人に借りたのだけれど今日始めて手に取った。
よく、物事を多面的に見ることが大切だとか、物事の一面だけを見て判断するなとか、真実を知ることが大切だということが当然真であるように言われる。僕は分からない。そうしたことがどういったことに繋がるのか。知ってどうするというのだろうか?何かにプラスに働くことなのかもしれない。ただ、これに便乗して使われる言い訳がある。
”まだ自分はよく事実関係を知らないので。物事を多面的に見れないので。判断はできません。”
あなたはもし真実を知れて、多面的に物事を見れるようになったと仮定したとき、そのとき責任を放棄したその判断を下すことができるのだろうか?そこでの価値判断をするほどの価値基準が自分の中にあるのだろうか?それが分からない。この本を読んでいてそんなことを思った。
イラク戦争で一番被害をこうむっているのはイラクの住民かもしれない。でも同じくらい、アメリカ兵もしんどい思いをしている。僕は最初、感情的に、アメリカが起こした戦争なんだからそんくらいがまんしろよ!!と思った。でも戦争を起こしたのは実際は誰なの?アメリカが起こしたという。じゃあアメリカの誰が?戦場で人を殺したのは兵士かもしれない。じゃあ戦場に兵士を送ったのは?そこに集団の決断という非人格的であるがゆえに非情になれる何者かのそんざいがあるような気がした。
誰が悪いのかよく分からなくなる。でも自分は日々なんらかの判断をしていかなければならない。
すごく無責任な話をさせてもらおうと思う。この本には、イラクに派兵されたアメリカ兵やイラク戦争に反対する人の活動が書かれていた。読んでいて、自分が体験したことない範囲の出来事で、想像もつかないことがたくさんあった。ただ悲惨なのだろうということが伝わってきた。しかし、心底そう思えない自分もそこにいた。心のどっかで自業自得だろ、と思っている自分がいて、自分たちが起こした戦争で自分で苦しんで本にまでして、イラクの人の声は届かないのだと思っている自分がいた。たまたま今回手に取ったのがアメリカの人に立脚した反戦の本だったのだが、先にイラク人視点で書かれているものがあったらどういった感じ方をしたのだろう。もっとストレートに反感を覚えたのだろうか。はたまた、アメリカ兵も大変だよねと素直に共感できていたのだろうか。よく分からない。
こんな思いと共に、正直戦争に巻き込まれざるを得なかったアメリカの人たちの現状をはじめて体験に立脚した形で知ったことの衝撃もかなり大きかった。はじめて米兵被害○○名という被害の中身を知った気がした。イラク人はもっと。でもその被害の中身に量的差はあっても質的に差はないのだろう。と素直に思った。矛盾した考えが頭をよぎった。
物事を多面的に理解して。そのあとは?そのあと自分はどうするのか?物事を多面的に理解して混乱する。その先を誰か教えてください。と思ってしまった。迷うことに意義があるのだろうか。そういうなんとなく青春的な感じでごまかしてみる。
話は変わって。
上層部からしたら戦争ってチェスみたいなものなんだろうな。と思った。インドに旅行に行ったとき、王宮の遺跡に言ったのだがどんな世界遺産よりも自分の中では衝撃だったことがある。その王宮には人間サイズのチェス盤があるのだ。王様が地上2~3階からチェス盤に並んだコマ(人間)を動かしてゲームを楽しむのだそうだ。そのコマは裸の女性であったり、コマ同士の戦いをさせたり(聞いた話なので事実的確証は曖昧なところですが)。それでも地球を舞台に行なわれる戦争ゲームよりはいくらかましだと思った。でも真っ先にそのチェスのことが連想された。最低な行為であることに変わりはないのかも。人間の本質はあまりにも変わっていないのだなと自分を省みつつもとても悲しくなった。違う種として認識しているのだろう。
ちょっと印象的な言葉があったので引用してみたい。
「人間を動かす二つのテコは恐怖と利益である」(ナポレオン)
これと似たような記述がこの本の中にも見られた。きれいごととは分かっていても心のそこから賛成はしたくない。
今日はちょっと本を読んだ。堤未果さんのアメリカ弱者革命という本。ちょうど半年前にバイト先の人に借りたのだけれど今日始めて手に取った。
よく、物事を多面的に見ることが大切だとか、物事の一面だけを見て判断するなとか、真実を知ることが大切だということが当然真であるように言われる。僕は分からない。そうしたことがどういったことに繋がるのか。知ってどうするというのだろうか?何かにプラスに働くことなのかもしれない。ただ、これに便乗して使われる言い訳がある。
”まだ自分はよく事実関係を知らないので。物事を多面的に見れないので。判断はできません。”
あなたはもし真実を知れて、多面的に物事を見れるようになったと仮定したとき、そのとき責任を放棄したその判断を下すことができるのだろうか?そこでの価値判断をするほどの価値基準が自分の中にあるのだろうか?それが分からない。この本を読んでいてそんなことを思った。
イラク戦争で一番被害をこうむっているのはイラクの住民かもしれない。でも同じくらい、アメリカ兵もしんどい思いをしている。僕は最初、感情的に、アメリカが起こした戦争なんだからそんくらいがまんしろよ!!と思った。でも戦争を起こしたのは実際は誰なの?アメリカが起こしたという。じゃあアメリカの誰が?戦場で人を殺したのは兵士かもしれない。じゃあ戦場に兵士を送ったのは?そこに集団の決断という非人格的であるがゆえに非情になれる何者かのそんざいがあるような気がした。
誰が悪いのかよく分からなくなる。でも自分は日々なんらかの判断をしていかなければならない。
すごく無責任な話をさせてもらおうと思う。この本には、イラクに派兵されたアメリカ兵やイラク戦争に反対する人の活動が書かれていた。読んでいて、自分が体験したことない範囲の出来事で、想像もつかないことがたくさんあった。ただ悲惨なのだろうということが伝わってきた。しかし、心底そう思えない自分もそこにいた。心のどっかで自業自得だろ、と思っている自分がいて、自分たちが起こした戦争で自分で苦しんで本にまでして、イラクの人の声は届かないのだと思っている自分がいた。たまたま今回手に取ったのがアメリカの人に立脚した反戦の本だったのだが、先にイラク人視点で書かれているものがあったらどういった感じ方をしたのだろう。もっとストレートに反感を覚えたのだろうか。はたまた、アメリカ兵も大変だよねと素直に共感できていたのだろうか。よく分からない。
こんな思いと共に、正直戦争に巻き込まれざるを得なかったアメリカの人たちの現状をはじめて体験に立脚した形で知ったことの衝撃もかなり大きかった。はじめて米兵被害○○名という被害の中身を知った気がした。イラク人はもっと。でもその被害の中身に量的差はあっても質的に差はないのだろう。と素直に思った。矛盾した考えが頭をよぎった。
物事を多面的に理解して。そのあとは?そのあと自分はどうするのか?物事を多面的に理解して混乱する。その先を誰か教えてください。と思ってしまった。迷うことに意義があるのだろうか。そういうなんとなく青春的な感じでごまかしてみる。
話は変わって。
上層部からしたら戦争ってチェスみたいなものなんだろうな。と思った。インドに旅行に行ったとき、王宮の遺跡に言ったのだがどんな世界遺産よりも自分の中では衝撃だったことがある。その王宮には人間サイズのチェス盤があるのだ。王様が地上2~3階からチェス盤に並んだコマ(人間)を動かしてゲームを楽しむのだそうだ。そのコマは裸の女性であったり、コマ同士の戦いをさせたり(聞いた話なので事実的確証は曖昧なところですが)。それでも地球を舞台に行なわれる戦争ゲームよりはいくらかましだと思った。でも真っ先にそのチェスのことが連想された。最低な行為であることに変わりはないのかも。人間の本質はあまりにも変わっていないのだなと自分を省みつつもとても悲しくなった。違う種として認識しているのだろう。
ちょっと印象的な言葉があったので引用してみたい。
「人間を動かす二つのテコは恐怖と利益である」(ナポレオン)
これと似たような記述がこの本の中にも見られた。きれいごととは分かっていても心のそこから賛成はしたくない。
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