今日は土用の丑の日だった。友達の前で今日って土用の節句だよねと聞いてしまった。なんだかな。
そんな曖昧な感じだったのだがついついうなぎを買って食べた。今日の献立の予定は炊き込みご飯だったのであるが、昨日か一昨日か忘れたが買っておいたシメジがこの夏の熱さによって蒸されていたというか生煮えになっていたので予定変更した。ちょうど見ていたニュースでうなぎ偽装関連の報道があっていたのでそれにまんまとつられて近くのスーパーまでうなぎを買いに行った。例年よりうなぎは高かった。千五百円である。そしてうなぎの大きさによって百円前後の価格の開きがある。僕はそこでぷちりっちをした。千六百円のちょっと大き目のうなぎを買った。こういうときの百円と言うのは多分だがかなりの値打ちがあるように思う。その値段の割りに気分をセレブにしてくれる。僕はそんなりっちまんの気分の中帰宅した。
話は変わるが、ドアというのはなんとも不思議な板である。その板一枚隔てた空間に移るだけで気分は一転する。たった数センチしか空間的には移動していないのに、である。とても不思議な板である。人はそこでオンオフを切り替え、内弁慶になり、シリにしかれる。たった一枚の板の向こう側で。ただの板という、シンプルこの上ないドラえもんのどこでもドアはこうした不思議さを昇華させたものなのかもしれないなぁと思った。要するにうなぎを買ったときのセレブ気分はドアを開けたら霧散して、千五百円もの出費にかろうじて耐えた財布がそこにもさっとあるだけだったのである。食べるときはきちんと半分にして、ご飯一合にうなぎ半分。2日はもつ計算である。
そんな曖昧な感じだったのだがついついうなぎを買って食べた。今日の献立の予定は炊き込みご飯だったのであるが、昨日か一昨日か忘れたが買っておいたシメジがこの夏の熱さによって蒸されていたというか生煮えになっていたので予定変更した。ちょうど見ていたニュースでうなぎ偽装関連の報道があっていたのでそれにまんまとつられて近くのスーパーまでうなぎを買いに行った。例年よりうなぎは高かった。千五百円である。そしてうなぎの大きさによって百円前後の価格の開きがある。僕はそこでぷちりっちをした。千六百円のちょっと大き目のうなぎを買った。こういうときの百円と言うのは多分だがかなりの値打ちがあるように思う。その値段の割りに気分をセレブにしてくれる。僕はそんなりっちまんの気分の中帰宅した。
話は変わるが、ドアというのはなんとも不思議な板である。その板一枚隔てた空間に移るだけで気分は一転する。たった数センチしか空間的には移動していないのに、である。とても不思議な板である。人はそこでオンオフを切り替え、内弁慶になり、シリにしかれる。たった一枚の板の向こう側で。ただの板という、シンプルこの上ないドラえもんのどこでもドアはこうした不思議さを昇華させたものなのかもしれないなぁと思った。要するにうなぎを買ったときのセレブ気分はドアを開けたら霧散して、千五百円もの出費にかろうじて耐えた財布がそこにもさっとあるだけだったのである。食べるときはきちんと半分にして、ご飯一合にうなぎ半分。2日はもつ計算である。
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