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自分を探すというよりは確かめるための散歩。
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 死とは絶望なのか。

 そんな言葉が頭にふと現れることがある。近しい人物との別れ際に死なないでねと言われた。死相でも見えていたのだろうか。僕はおそらく自分で自分の命を断つことはできない。自分の持つ繋がりの管をはさみで断ってしまうほどの勇気がない。その瞬間に訪れるであろう苦痛を想像して、おいしいお酒の味を想像して。人は時間的未来に起こると仮定できること(まったく妄想に近いもの)にすがって生きている。終わりが来たら楽になるからあと一踏ん張り。いつまで続くか分からないからこの幸福を享受する。
 
 もしいつ終わるとも分からない苦痛が終わることなくいつまでも続くとしたらぞっとする。もしいつ終わるとも分からない”幸福”が果てることなく続くと思うとその場で踊り狂って自分の終わりへとステップを踏むだろう。軽快に。苦痛の永続が”幸福”の連続よりも幸福であるのは、たとえそれがいくら深く長くても、その先に”幸福”という苦痛の終わりを想像することができるからである。”幸福”の連続の中で人はどうやって生きていくのだろう。想像がつかない。思ったとおりになれて、好きなことができる。幸福なときに使うエネルギーは苦痛のときに使うそれよりもはるかに莫大なものだろう。苦痛には耐えられる。幸福は享受しなければならない。終わりのない積極性は限りない消極性を招くこととなる。

 死とは絶望なのか。人が生まれて死ぬまでが苦痛であるのであれば死とは希望になる。それがもし幸福の連続でもそれは希望になるのでないのか?なにか静的な状態が続くことが不幸であるとするなら、幸福な状態とは動的な状態となる。ということは死は絶望であるのかという問に答えるためにはまず幸福であったり希望であったりがどういったものかを考える必要がでてくるのではないか。これは非常にめんどくさい。また日を改めることとする。ただこれだけは言える気がする。死はその絶対的絶望性によって逆説的に生きることに希望を投げかける。そういう意味では希望の源泉である。とするならば終わりのない苦痛を感じる今にその絶対的絶望性に希望を見出しそこに飛び込んでいくことはある意味で苦痛の終わりを意味するものであり、それはそれで説得力のあることなのかもしれない。

 さて、終わりということを死と連動させて考えるとどうしても考えが入り組んだものになってしまう。自分が言いたいことを言うためにもう少し具体的で身近な問に換えてみようと思う(別に死が身近ではないということが言いたいわけではない)。

 人が頑張れるのは終わりがあるからである。

 この命題は真か偽か。真である。もう少し分かりやすく言うと、人が何かに対して打ち込めるのはその何かが永遠的なものではありえなくて(たとえそれが宇宙のなぞを解き明かすということであっても人間の有限性により、その問題は有限的にならざるを得ない)、限定的で有限的なものであるからである。ということは概ね妥当であると言えそうだということである。とても曖昧な表現になってしまった。というのも書いているうちにそもそも有限存在である人間が無限を想像したところでそれが可能なのかという疑問が湧いてきたし、真であるからどうなのだということを考え出すとややこしいし、こうした表現を使うことで言葉が獲得する厳密性があまりにも厳密度を欠いており、あまり意味がないと思ったからである。自分の不肖のためである。
 こういうとき具体例を出してお茶を濁そうと思う。スポーツをしていたらそのトレーニングのうちのひとつとして触れることがあるかもしれないが、終わりを走者に知らせずに延々と(少なくとも走者にとっては半永久。終わりがないのだから)走らせるというものである。こうすることで走力と同時に精神力が鍛えられるらしいのだ。
 
 ここではとりあえずの結論として、人が頑張れるのは終わりがあるからであるということを真であるという前提の下話を進めたい。今までは人は一般に1人の人間として幸福や苦痛とどう向き合っているかということについて考えてきたのだが、同上人物か複数人になると話は複雑になる。ある一つのことを共同して行なっている関係性にいる二人を考える。その対象を片方が半永久的なものと考え、片方が限定的なものとして考えている場合、この2人の間に悲劇は起こる。一方にとってはその行なう対象は“耐えるべき(受動的傾向で臨む)もの”であるのに対して、もう一方にとってそれは“頑張って達成する(能動的傾向で臨む)もの”となりその関わり方において齟齬が生じるのである。ここで行うという能動的行為に対して受動的態度であることがありえるのかという矛盾が生じているように思うが頭が正常に働いていなくて眠くなってきたので結論を急ぎたい。ここでの2人が取り組む共同事務であったり、この2人の関係性がある程度公共性を備えたものであるのであれば、これは望ましい齟齬であり、摩擦・切磋琢磨の可能性を秘めているのであろうが、それが私的なものになると、ここで生じた齟齬と言うのは双方にとって必ずしも好ましいものではなくてむしろその2人の共同事業を頓挫させるものであるように思うのである。互いに互いが注ぐエネルギーに不満を覚え、均衡点が見出せる(妥協ができるレベル)の問題では終わらないのである。そしてその関係性は不可避的に終幕という希望であり絶望に向かうこととなるのである。
 
 しまった、最後のほうはぐだぐだになってしまった。前半部分が言いたいことであり、後半部分は愚痴であり、こじつけであり屁理屈である。 
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 7/18暑い日。何度かここに投稿した記事にもでてくる、僕が2回生のとき責任者だったチームで久しぶりに集まって飲み会をした。なぜ飲み会を開くことになったかというと、メンバーのうち1人が留学をしていたのであるが、六月の終わりに無事帰国し、お帰りをいうために開かれたのである。

 メンバーは男2人、女3人。進路が決まっているのは、メンバーが全員4回生ながら1人というなんともすてきな集まりである。決まってない4人のうち3人はこの夏に大学院試験をうける。留学した人は留年である。なんとも語呂がいい。そんなこんなで久しぶりに集まった5人でわいわい楽しく飲み会をした。それはほんとうに夢見心地なふわふわとしたものであった。ただ酔っ払っていただけかもしれないが。僕は性格が歪んでいると思いきや真っ直ぐなところもあるので、嫌なことがあったときはねちねちと逃げ道をつぶしながら結論を先延ばしにしていくのだが、楽しいことがあるときはそんなに気を長くしてものを書くということが出来ない。なのでばしっと結論を言う。要するに、こう、オレンジデイズだったのである。

 今回驚いたことがいくつかある。まず、就職活動というのはやはり人をしっかりしたものにするのだろうなぁということである。僕の周りには驚くほど就職をする人が少ない。そうしたことも手伝って、就職が決まった人に会うと、やはりどこか大人びたものを感じる。というか自分の甘さというか幼さのようなものをこう、くっきりと浮き彫りにされる気持ちがする。5人のうち1人が就職が決まったということは前出のことであるが、僕はこの人と会うのがおおよそ一年振りである。同じ学校にいるものの僕が余り学校に行かないことも手伝って会うことがあんまりなかったため、僕のその人への記憶は2回生のときのままである。そりゃ2回生のときから比べれば誰しも変わるだろうと、すかさず鋭い突込みが入りそうなものであるが、社会の時間の流れと隔絶された空間の生物である大学生はそうそう劇的な変化など遂げない、気がするのである。とにもかくにもその人に久しぶりに会った感想は、大人っぽくなって、しゃべり方とかしっかりしたなというものである。その人は2回生のとき、しっかりしたところがないわけではないが、どちらかというとどこか抜けている、箱入りお嬢様という感じの子だった。それがこの前あったら、なんともこちらがちょっと身構えてしまうようなしゃんとした雰囲気に包まれていた。
 もう一つある。留学して帰ってきた人が全く変わっていなかった点である。変わったといえば下ネタのレパートリーが増えた程度である。その日集まったメンバーは留学から帰ってきた人がどれだけ変わるのかと胸をドキドキさせながら待っていたのであるが、何も変わらないそこにびっくりである。好対照をなす2人組みだと思った。 
  
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 さて、前置きはこれくらいにしておいて、今回の本題に入りたいと思う。自分で前置きながっ!と思い、本題を書く気力が薄れてきたが、ここはすこし踏ん張って書いてみたいと思う。
 
 何度かここに投稿したのであるが、僕は2回生のときサークル活動を結構頑張った。詳しくは長くなるので省略するが、よくも悪くもがむしゃらにつっきったと表現するのが近い気がする。
 ”サークルを終えて~頑張るということ”で少し触れたのだが、僕は2回生のとき、この日集まったメンバーに下回生を加えたお疲れ打ち上げで、どっきり色紙をもらい、号泣した。僕は本当にめっちゃ幸せだ、と思った。今でもそのときの感覚というか、気持ちの隆起してくる様をはっきりと覚えている。
 しかし、物事には必ず裏があるわけで、僕は必ずしもそのチームのメンバーのことを好きか、信じているかといわれたら、自信を持ってイエスということはできなかった。というのも、一年間の活動を通して、やはり怠ける部分であったり、責任感が足りないと思う部分が目に付いたからである。僕に責任感や怠けない心が備わっているかといわれれば、そうは言えない。しかし、当時の僕は自分のことはとりあえず棚に上げて、周りを責め、他人のせいにし、すこし腐っていくという矛盾を繰り返していた。その心持の表れとして、活動の期限を守らないメンバーに必要以上にあたったりもした。そして、そういう状況の中でお疲れ飲み会は開かれた。当時はまだ気づいていなかったのであるが、自分自身の中に抱えた矛盾と、他人への苛立ち、今なら分かるのだが、自分が嫌われているのではないかというような気持ちなどが相まって、2回生の飲み会のとき、楽しいながらもどこか空っぽな、薄氷のヒビを見てみぬ振りしてというか目に入っているのだけど、意識的には認識しないままにその上をすべっていくよなそんな気持ちで過ごしていた。そして、色紙である。そこに書かれた言葉は宝物と言ってもいいものであって、僕の悩みは消えた。その当時考えていたのはみんなが真剣に活動に取り組んでこなかったということであったからその色紙に書かれた言葉をみて、そうではないということに気づき、僕はもやもやしたものをとりあえず晴らすことが出来たのである。

 その後しばらくたって、僕はあるもう一つのことに気付き始める。みんながそれなりに自分自身の精一杯の気持ちで活動を続けていて僕自身もいっぱいで。そうして一年間の活動を終えたわけであるが、先ほど書いたように、僕はメンバーにきつくあたることがあったのである。そのことを考えたとき、情けない気持ちとともに、メンバーはもしかしたら僕のことを心底ではあんまり好いていないのではないか、というか苦手としているのではないかという不安がひょっこりと出てくるのであった。それはたまにする飲み会の呼びかけにみんながあんまり反応していないなどの事実によってこの一年、僕の心の中でくすぶり続ける。
 
 7/18。集まった人たち。昔の話になり、僕が号泣した話題が出る。”ほんとがんばってたよなぁ。”とか結構きつい言葉言ってなかった?という問への“いやぁ、よく我慢してたと思うよ。こんなメンバーに”という答。”みんなあんたが思ってるよりもあんたのこと好きやで”というなにげない一言。
 なんのことはない、みんなそのときそのときの精一杯の自分でどうしていいかわからないもやもやを、言葉や、態度でぶつけ合っていたのである。そして今もそれぞれが馴れ合うことなく自分が思ったとおりにすすんでいる。そんなメンバーだからこそ僕は好きで、頑張れた。その当時、なにも考えていなかったわけではない。考える余裕がなかったのだ。そして密度の濃い一年もの間。そこにはやっぱり全力の人間関係が築かれていて。そして、僕はそんな人間関係が大好きなのであった。友情とかいううわべだけの美辞麗句ではあらわせないようなそんな人間関係が。僕はその場に確かにあるものに安堵した。寝かすことで熟すものがあったのだと思った。だからと言って傍若無人に振舞っていいかといわれればやはり違う。人のことを考えないのと、人のことを考える余裕がないのは似ているようで違う。そのやわらかいが分厚い壁を突き破らないようにしないといけないと思う。僕は三回生のときその壁を破って向こう側に行ってしまった。その壁は破っている最中にはやわらかく自分を包み込んでくれるから、いつの間にか気付かず反対側へと足を下ろすことになる。人のことを考えることができれば一番それがいいのかもしれないが、少なくともこの壁は越えてはいけないと思った。

 僕はほろ酔い気分の中、また涙しそうになる。まるでデジャブだ。ただ、今回は分厚い氷の上を踏みしめながら歩くことが出来そうである。残っているお酒を一気飲みしながら、僕の一年越しの心配事は霧散する。いっきした悠の心配事は、杞憂に終わる。

 前回の題名が防衛本能だったのだが、まったくそれにたどりつくことなく終わってしまった。
 
 幼少のころの忘れられない、一場面がある。今でもそれを思い出すと、少し悲しくなる。

 小学生の頃の遠足の楽しみといったらなんだろうか?前日の眠れない夜だろうか。授業を受けなくていいあの開放感だろうか。はたまた私服で登校できるえも言えぬ浮遊感であろうか。ともかく小学生のころ特に中学年までは遠足というものはなんとも言えぬ大人公認の秘め事のようなそんなワクワクしたものであった。
 そうした遠足の魅力の一つにお菓子を持参できるということがあったと思う。心憎いことに上限300円というなんとも絶妙な金額設定がなされた上で。

 そう、あれは僕が多分小学校2年生か3年生くらいの頃だったと思う。遠足を4日後に控え僕はお菓子を買いに近所のスーパーに母と買い物に来ていた。確か、マルナカというスーパーだったと思う。そして僕は遠足に心躍らせ、というより、300円分ものお菓子が買えることに胸を躍らせ、スーパーのお菓子売り場をせわしく動き回っていた。当時一月のお小遣いが100円の僕にとってはこの300円というのは夢のような金額であり、同時にせつない現実感をも与えるものであったのである。三ヶ月分のお小遣いに匹敵する驚きの金額設定なのだが、なんでも買えるというわけではなく、結構シビアに品定めをしなければならないのである。ただ、僕にとってはそのお菓子選び自体ですらが楽しい遠足であったのだ。

 時間をかけること10分程度。僕は無事300円分(消費税抜き。ここが小学生の精一杯の抵抗である)のお菓子を買い終えた。なんといっても今回の目玉は300円の半分以上を費やしたドラゴンボールグミである。これはいわゆるおまけつきのお菓子で全く食べる部分がない。カードの悟空とべジータのところにその形のグミが張り付いているだけのものである。しかし、である。月100円のお小遣いでは決して買えない垂涎の一品である。ここは即買いである。しかも、そのグミの少なさ故にそのグミからはまばゆい輝きが発せられていたのであった。

 こんな様子で遠足前の前夜祭(お菓子選び)を終え、遠足に繰り出した。遠足の内容は全く覚えていない。まぁ普通の遠足だったのだろう。僕はその日、とうとうあのグミを食べることなく帰宅した。別に遠足で食べる必要はないのである。親の作ってくれたおいしいお弁当があれば、お菓子なんていらない。欲しくなれば友達にもらえばいい。ぶっちゃた話、遠足用のお菓子を遠足で食べるために買ったことなどない。自分が日ごろ買えないお菓子をその日以降の楽しみのために買っていたのである。そんな感じで僕はあのグミを家に帰ってゆっくり食べようと思っていた。僕は食事でも何でもそうだが、楽しみは最後にとっておくタイプの人間である。しかもかなり徹底して。

 そして遠足から数日後。
 
 ”さぁて、ドラゴンボールグミ食べよっと”

 と親に聞こえる声で誇らしげに宣言して、僕はお菓子が入っている戸棚に向かった。そして遠足用お菓子が入っている袋を開けた瞬間、事件は起こった。いや起こったというよりはむしろ僕が”悟空、べジータ失踪事件”の第一発見者となっていた。あろうことかそこにはもういなかったのである。そう楽しみにしていたあおの輝きを放っていた悟空とべジータが。無残に連れ去られた悟空とべジータのあとに残されたのは絵の描かれた台紙と犯人が連れ去り忘れたと思われるスーシンチュウだけであった。僕はその場で立ち尽くした。今にも泣きそうな気持ちになった。というよりほぼ泣いていた。犯人は分かっている。これまでの人生の中(そういっても十年弱であるが;)で幾度となく苦しめ続けられてきた妹という名の着ぐるみを着た怪獣の仕業である。あろうことかこれ食べたやろ?と聞いたところ帰ってきた答が

 ”覚えてない。食べたかもしれん”
 
 である。あんなに楽しみにしていたお菓子が。自分だけ友達より少ないお菓子しか持っていけないという覚悟の上で買ったあのグミが。やさしい母は同じの買ってあげるからと言う。しかし!この世にあのグミと同じものは存在しないのである。あの遠足前のどきどき、遠足のときも食べるのを我慢するあのお預け感、その他諸々。そういったものがあってはじめてあのグミはあのグミ足りえたのである。代替可能なものでは決してないのである。同じ商品を食べたところで僕の心は満たされないのである。そんなことを小学生の僕が言葉で伝えることが出来ようか。僕は絶望に打ちひしがれ力なく”いいよ”というしかないのである。
 
 思い返すと僕は楽しみをとっておいては妹にそこを持っていかれるということの繰り返しであった。ステーキの脂身、鳥のから揚げの皮、カレーに入っている鶏肉とその骨の軟骨。僕は終ぞ残しておいたおいしいものを食べる機械にたどり着けないのである。それも内的要因ではなく、外的要因によって。

 さて、そのあと、母はグミを買ってきてくれた。僕は心にどこか隙間があるような感じがあったもののその優しさに触れるにつけ、少し安らいだ気持ちになった。そして数年後、妹にそうしたことを覚えているかと聞いたら案の定覚えていないとの答が返ってきた。”兄ちゃんが好きなものあとに残しとるけん、人に食べられるつたい。先に食べればいいのに”、というおまけつきで。断じて違う。絶対食べる方が悪いのだ。
 
 そうだ、カム足の話であった。僕は幼少の頃のこうしたアナーキーな状態(常に相手が先制攻撃をかましてくるのではと疑心暗鬼に陥った状態。その状態の中では軍備の拡張を通じて勢力の均衡を図るというのが政治の世界の命題であった)にいたため、ふと残り少ないカム足を見たとき、人に食べられるくらいなら自分で食べてしまえとの防衛本能が働いたのではないだろうか、と思うのである。征服欲うんぬん言ってきたが結局は単純な話で、自分の身を守ろうと無意識的に行動したに過ぎないのかもしれない。でも3日間計算を立てながら食べようとすると言うことはまだ人を信じていることの証で、僕はそんな世界をアナーキーな状態とみる世界観とそんなみんな攻撃してこないよという風に見る世界観の間で行ったりきたりしている。
 さて、前回の投稿では結局征服もしていないし、ただの馬鹿じゃないかという方も、先が気になるよ~というかたも様々いるであろう。

 まずここに分けて投稿した理由を説明したい。なるほど、確かに、征服欲からカム足を全部食べるという暴挙に出た僕であるが、前回は後悔で終わった。それが一番切実に感じたことであり、これから書くことはむしろ後日談だと思っていただきたい。そう、一つの出来事に関する認識が自分の中でいくつも(実際のところ二つだが)出てきたのである。そして時間軸のずれがある以上分けて書いた方がいいのではないかと思い、分割して書くことにした。ちなみに支払いは一括のほうがいいと思われる。

 前回は虚しくも、カム足が残り一本のところで終わっていた。さて、僕は自分の限界を感じつつも(要するに思春期の風の強い日、スカートがめくれることを直接的行動では実現することができず、念じるに堕するという限界を思い描いていただければ結構である)、無事最後の一本を食べ終えた(要するにしゃがむなり直接的行動に出たわけである)。そして僕は思っていた通りの、とはいかず、想像以下の達成感、征服感を味わうことになった(要するにスカートがめくれてしまったら別にたいしたことなくて別にむらむらもしなかった、見えることを期待している時分のほうがよっぽど幸福感に満ちていたということである)。ここで言い訳をしておくが僕だって高尚な例を持ち出したい。しかし僕の浅はかな経験の中ではこれくらいしか思い浮かばないのである。申し訳ない限りである。
 そう、僕には確かに征服欲があった。そんなの当たり前だろ、とおっしゃられる方もいるかもしれない。しかし僕はSかMかと言われたら限りなく黒色に近いグレーなのである。この表現が使いたかっただけであるが、要するにどちらかといえばMなのである。対象物を征服しようなどという考えが浮かぶことはあっても、実行に移すほど肝が据わっているわけがないのである。おい、待てよ。それでは、Mというよりただの小心者ではないか。ややこしくなるというか傷つくのでそこは見てみぬふりをして先に進みたいと思う。そう、そして僕にも征服欲があることに僕自身ちょっと驚き、安心した。そして、思い返してみると日常的な生活の中にもそうしたものの現れがあることに気づく。ちょっとした収集癖があるのだが、それは征服欲言い換えれば所有欲からくるものであろう。そう、なんのことはないのだ。一つ驚いたことがあった。それは征服(ここではカム足の完食)が達成されたときよりも達成されようとしているその過程における幸福感の方が勝っているということだ。それでは征服欲は征服にとりかかりたい欲と言い換えることが出来てなんともやっかい極まりないものである。僕はそんなことを思いながら一縷の後悔とともにカム足を平らげた。
 なぜこうしたことについてつらつらと考えたかというと、アメリカ外交の勉強をしていて、全体としてそうとは言わないが、時代の一部においてなぜあんなにも自分の正しさを信じ、他者に対して介入することができるのか不思議でならなかったからである。確かに必要性から、国益からなどあるだろう。ただその一つの要因というか遠因として、悪く言えば征服欲、自己顕示欲もしくはそれらに通ずるものからきているのだろう、と思っていた。そしてそれを自分にはないもの、あってもきわめて少ないものと思っていたのだが、いや、あるだろ!とひとり突っ込みを入れて、どういうときにそういうなんが具現化されるのか気になっていたため、このような些細な出来事を発端としていろいろ妄想を膨らませていたのである。ここでちょっと調子のり発言をすると、征服欲などそうしたものを無自覚的に実現に移すより、自覚的に認識した上で実行するならしたほうがまだいいと思う自分がいるからである、ということをもっともらしく言ってみるのである。しかしここには思いがけない落とし穴がある。自分は自覚的であるという思い込みによって無自覚的に自分の正当性を信じてしまうことである。ジレンマ。じゃあどうしたらいいねん!間違ったときは謝るしかない。
 
 さて、いたずらに湧いて出た妄念からアメリカ外交まで飛躍したわけであるが、そこで僕はもう一つの政治的概念へと思いを飛躍させるわけである。いわゆるアナーキー(ホッブズが言うところの自然状態。無政府状態)である。それについてはまた投稿を改めることとする。
 いかがわしい、妖しい雰囲気の題名で始まった今回の投稿であるが、中身はきわめてばかばかしいものである。
 
 僕はSかMかと問われるとおそらくMであろうが、Sであると思うなどとよく分からない返答をする気がする。実際に問われたときにはMであると答える。言ってみると黒に近い灰色か白に近い灰色なのだと思う。そんな僕にも確かに隆々たる征服欲というか、達成欲というものがあるのだなと気づいた出来事があった。

 先日”カム足”というイカのげそをを干して七味をまぶしたやつ、要するにスルメの足だけバージョン内容量180g を食べていたときの話である。これは結構量が多くて1人酒時間に換算するとおおよそ3日分の量に匹敵する食べ物である。それでお値段700円というのだから、大学生にとってはまぁまぁ手ごろなおつまみなわけである。ここでいう1人酒時間というのは日本酒を飲む1時間に消費するおつまみの量を元に1日=2時間弱としたとても曖昧な単位のことである。
 話がそれてしまったが、そのカム足を食べていたときの話である。その日は1人酒時間2日目であった。宴もたけなわ、そろそろ頭の中にベッドの陰がちらつき始めた頃だった。むくむくと、残りおよそ1人酒時間一日分のカム足を食べて、この容器をからにしてしまったらなんと楽しいことかという妄念が、そう、カゼが強くスカートはためく思春期のあのときのようにただただむくむくと沸き起こってきたのである。
 僕は必死に抵抗した。まだ見ぬ3日目の楽しみを想像し、噛みすぎであごが痛くなり始めている現実に苛まれ、干物ゆえの特性か胃の中で膨張し続けるカム足の逆襲におびえながら。ただただ必死に抵抗した。しかし、考えても見て欲しい。思春期のあの妄念である。人類に抵抗する術などあるわけがない。いや、しかし、ここは大学生という理性に目覚め、理性的に生きることができるほどまで成長した僕なはずだ、そのような妄念に屈してはならぬと必死に抵抗する。・・・しかし、何度も言う。あの頃の妄念だ。逡巡して五秒後、僕は無残にもその妄念の前にひざまずいた。満足げな笑みを持って。
 人は時として合理的、理性的に動くことはできない。あのジョージケナンも言っているではないか。短慮と憎悪に基づく意見(感情的な意見)は、常に最も粗野な安っぽいシンボルの助けを借りることが出来るが、節度ある意見というものは、感情的なものに比べて複雑な理由にも著づいており、説明することが困難なような理由に基づいている、と。そして僕はケナンの批判するところの”安易な成果を摘み取り、その日限りの矮小な勝利を刈り取り、傍若無人な踊りをおどって”いたのである。
 なるほど、僕はこれにいくらかの弁明をすることができる。1日目に目測を誤まり、ちょっと多めに食べてしまった。2日目も同様なことが生じた。残量が少ないことを僕が無意識的に認識していた。そのため、中途半端に残すより一気にいってしまおうという潔い気持ちが起こったのだということもできよう。はたまた、そもそも企業の陰謀により、内容量が減らされていて、実は2日目にほとんどかむ足を食べていないのだということも出来よう。しかし前者は、妄念を言い換えただけで本質はなんら変わっていない。後者に関しては偽装が流行のこのご時勢、一考の余地があるものの、そこは執念深い僕のことである。買う際に内容量が多そうなものを選んで買っているため偽装が生じていても無視できるものであろう。それでは前者と後者が融合している可能性はないのだろうか?
 もう辞めにしよう。分かっている。僕が妄念に負けて、カム足を食べきるという行為に出たことは紛れもない事実である。主観的客観的要件をともに満たしている。そして僕は後悔していた。度を越してむくむくとお腹をの中で膨れ上がるカム足の気配と、もうかむ力の残っていないあごをルーティンワークのようにただただ動かしながら、容器の中の最後の一本を見つめながら。
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1986/01/22
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大学院で平和構築を勉強中。
スナフキン症候群にならないようにと日々励んでいます。
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