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自分を探すというよりは確かめるための散歩。
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 ドーン、平野啓一郎

 大学院試験が一ヵ月後に迫り、小説など読んでいる場合ではないのに、つい買ってしまった。いや、迷っていたのだが、ドーンの参考文献のところをちら見したら、そこに最上敏樹著の「人道的介入~正義の武力行使はあるのか」と「国連とアメリカ」という本が挙げられていたので、インシに無関係でもなかろうもん、という人道的介入で陥りがちな、こじつけを行い、要するに、誘惑に負けて買って読んだ。ちょうど人道的介入とか考えている年頃なので内容はあぁ、この本のここをそのまんまひっぱてきてるなとか思うところもあった。でも読み応えがあり、充実した時間をすごした。

 主題はおそらく分人主義と人道的介入である。大雑把に言ってしまえばぶんじん主義に全部微分できるかもしれない。もっと一般的に言えば多様性と単純さへの傾向性についていろんな角度からその功罪を、その両者の難しさを描いているといえると思う。ぶんじん主義について専門的な知識を持っているわけではないが、ぶんじん主義というのはいろんな人に見せる自分というものをぶんじんとして定義したものである。そうしたそれぞれの場面での私いわゆるぶんじんに“ぶんじん”という名前を与えることについて、魅力と危険性を感じた。それは現実に即した概念化であるが概念先行型になるとアイデンティティの崩壊をもたらす気がする。ただ、こうして名前を与えることで、安心する人も多数いるだろう。フーコーは何かを概念化する、要するになにものかに言葉を与えることを知ー権力と呼んだが、八方美人で二枚舌な一個としての自分に悩む人にぶんじんという概念を与えることで少なくともその悩みからは開放される。しかしそうしたぶんじんを認めると、その違いが際立ち、あたかも自分が分裂したかのように思い、自分の全存在を受け止めてくれる存在を求める傾向が現れる可能性もある。ぶんじん主義というのはそうした自我の分裂と崩壊、溶解を論じるうえでとても有意義な概念付けだとは思う。ただ、その響きからは直感としてやはり、どこか不安を拭い去れない。そんな中で、ドーンはこうした概念を中心に取り上げ、理想論でもなく、シニカルにもならず、ほんと地に足着いた安心を与えてくれた。

最近読んだ本:山本文緒、アカペラ。
お前はスナフキンだよ。
お前の優柔不断はやさしさじゃなくて傲慢だよ。なんでもかなえられるとか思うな。
この二言に僕は鳥肌がたった。
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バータンQ
年齢:
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誕生日:
1986/01/22
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自己紹介:
大学院で平和構築を勉強中。
スナフキン症候群にならないようにと日々励んでいます。
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