昔のワードのファイルを読み返していたら以下のような文章が出てきた。
僕の母は早熟に過ぎるのであろうと思った。そしてそれは母に暗い影を落としているような気がした。それは最近の一連の流れからなんとなく感じていたのだが、ここ2週間の間にそれがかなりの確信に近いものに変わった。
母の家庭は借金の保証人になり、借金を背負ったことがある。酒屋を営む家に育ち、晩御飯はいつも1人だったのである。そういった母が高校中学に呼んでいた本を今更ながら読む機会があるので読んだ。異邦人。こんなものを母は思春期に呼んでいたのだ。僕がバスケにほうけていたときにこんなものを。桜を見に来た母とのみに行ったのだが、そのときの母の言葉が忘れられない。
僕の母は早熟に過ぎるのであろうと思った。そしてそれは母に暗い影を落としているような気がした。それは最近の一連の流れからなんとなく感じていたのだが、ここ2週間の間にそれがかなりの確信に近いものに変わった。
母の家庭は借金の保証人になり、借金を背負ったことがある。酒屋を営む家に育ち、晩御飯はいつも1人だったのである。そういった母が高校中学に呼んでいた本を今更ながら読む機会があるので読んだ。異邦人。こんなものを母は思春期に呼んでいたのだ。僕がバスケにほうけていたときにこんなものを。桜を見に来た母とのみに行ったのだが、そのときの母の言葉が忘れられない。
“あんなん高校のときから読んでたんやね。”
“だって家帰っても誰もおらんし、それくらいしかすることなかったもん。”
まったく関係ない文脈で
“やっぱり借金にはトラウマあるんよね。ははっ”
いつも周りに気を使って笑顔を絶やさないようにする母だが長い付き合いの中でどのときに無理しているかは未熟者ながら分かっているつもりである。ただそのときほどはっきり見分けられたことはないような気がする。
母が父を選んだのは多分父が余りにも幼く、どっか根っこの部分でひかれるところがあったからだと思う。母がいる場所からしたら、父のいる場所は余りにも明るく、それは時に能天気にうつり、ちかちかして目障りなもので、それは時に部屋の中から見る春の日のように温かく見えるものだったのだと思う。しかしやっぱり外に出てみると、春の陽気はどこかまとわりつき、鬱陶しいものであり、自分をいらだたせるのである。でも外に出ずにはいられない。そこに根拠のないなにか自分を誘い出すものがあるのだろう。
だから父と母は馬が合うということからはかけ離れている。母はたまに気が向いたときに多分春の温かい日に散歩をしたいだけなのであろう。毎日そこにいると汗ばみ、どんな服を着るのが一番心地いいのかを毎日考えることに嫌気が差すのだろう。でも毎年春をどこかで楽しみにしてしまう部分がある、踏み切れない。
なんとなく春の京都でお酒を2人で飲んで、数日後異邦人を読んでそんなことを思った。
母には心をゆるす友達がいるのだろうか。いつも僕にこういった心のうちを話してくる。僕にはいま、そういう友達や先輩がいる。母は家にいることが多分苦痛なのだろうと思うが、その時間に話し相手はいない。僕は好みとして心底の話をすることが好きである。多分、母もそういった面を持っていると思う。しかし、こういった類の話を自分以外にしているということを聞いたことがない。次帰ったときに聞いてみようと思う。ただ、もしいないのだとしたら、それはなんとなく、むなしくなる。うまく言えないけど、喧騒のなかでひとり立ち尽くしているときのようなむなしさを感じてしまう。それは母を思っての感情なのか自分がその立場になったときの想像での感情なのか、わからなくなる。
以上である(今読み返すと、喧騒の中で1人立ち尽くしているというよりは、静寂の中誰の気にも留められず、ひとり叫んでいるもしくはつぶやいていると言った方が近い気がする)。
これが書かれたのは多分、二年前のちょうど今頃であると思う。僕はこの時期から大げさに言うと人生に悩み始め、未だそのトンネルから抜け出せていない。出口だと思った光は余りにも遠い。ただ、その光は見え始めているのかもしれない。
話がずれたが、僕はカミュにとても大きな影響を受けている。今日、人としゃべっていて、実は高校のときに、カミュの存在すら知らないときに、論説文でカミュのシーシュポスの神話に対するコメント的なものを読んでいるということに気付いた。驚きである。その論説文の内容は詳しくは覚えていないのであるが、メッセージは何かを行なわなかったことを後悔することのないようにしよう。なにかをできなかったことをたくさん後悔できるようにしようというものであった。その文にはヘルマンヘッセの車輪の下も取り上げられており、今思えば多分、何とも青臭いものなのだろうと想像がつくが、その頃の僕には(多分今も)ど真ん中だった記憶がある。当時の僕は、高校の卒業の誓いみたいな文章の中でその論説文の引用までしていたのだから、よっぽどだろう。そして、それから五年と幾許かが過ぎた今も、僕のけつは青々と黒光りしている。
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